家に帰って数日がたちました。
やっぱり、家は落ち着きます。
ここからまた新しい生活を始められそうな気がします。
なんだかゆったりとした時間を過ごしたくて、なんとなく
インターネットから遠ざかっていましたが、「なにかを
伝えたい」という気持ちがときどきふっとわいてきます。
今日は夫と、大好きな「もやい工芸」で麓のお線香立てを
買いました。気持ちが落ち着いたと同時に、しみじみと
「ああ、なんてかわいい子を亡くしたんだろう」と涙が
溢れました。
今回息子の死を体験して、他に同じ悲しみを抱えている人が
たくさんいることを知りました。そんな人たちの思いを
知ってみたくて、「誕生死」という本を読んでみました。
英語では、おなかで亡くなったケースを「STILL BORN」と
いうそうです。「それでもなお生きた」という意味の英語と
あまりにもかけ離れた「死産」という日本語。それをそぐわない
として、体験した方々が流産・死産・新生児死をすべて含めて
「誕生死」と呼ぶことにしたそうです。
この本に手記を寄せた方たちの体験は、私よりももっともっと
過酷で、辛いものばかりでした。新聞記事によると、死産は
年間3万人、流産は30~40万人にのぼるそうです。病気や
障害で亡くなる赤ちゃんもたくさんいます。
また、生きていても重い病気や障害で苦しんでいるこどもが
たくさんいて、幼いこどもの苦しむ顔を見ている親の気持ち
を考えると胸が詰まりそうになりました。
「どうか生きていてほしい」
「もしかしたら助かるかも」
「生きていてくれたら今頃は...」
我が子に対してそんな気持ちを抱くという経験をして、
他の同じ思いを抱く方の気持ちが痛いほど分かるように
なりました。
本のあとがきに、自分の心持ちに重なる文章を
見つけました。
----------------
何分の一かの確率で起こる病気だったから、事故だった
のだから、自然淘汰だったのだから、などと、赤ちゃんの
死にどのような理由がつけられようとも、親にとっては
かけがえのない一つの命が消えたという事実に変わりは
ありません。たとえ、何人子どもがいても、亡くなった
子の存在は一分の一です。いくら死の原因に納得しても、
わが子の死という理不尽なものを、納得し、受け入れる
ことはできないのです。
でも、時間と共に、新しい気づきもあります。それは、
亡くなったわが子が教えてくれた、あるいは与えてくれた
「何か」に気づくことです。それがどういうものかは、
それぞれの人によってちがいます。そういう小さな気づき
を集めていくことは、幸せとも言えることだと思っています。
大切なものに気づいていくことで、私たちの心の中で、
もう一度あの子の命がしっかりと生まれたと感じること
ができます。
----------------
時間がたてばこの悲しみは消えるものだと思っていました。
でも麓を失った悲しみは、消えることなんてないという
ことに気がつきました。そして、それでいいんだという
ことも分かりました。
時間がたつにつれて薄れていくことはなく、だんだん
何かが鮮明になってくるというのは不思議...
悲しみを受け止めること。
痛みを抱えて生きていくこと。
今までの人生で知らなかったこと。知っていたつもりでも
分かっていなかったことを教えてくれた我が子の死。
改めて親、特に母と子の絆の強さを感じます。
なんだか麓のことについてばかり書いてしまいます...
どうしても重い内容になりがちですが...こうやって
思いを綴ることで、少しずつ前に進めるのかな、と。
いつも見てくださる皆さん、しばらくお付き合い下さい~。
もう少ししたら、サーフィンを再開してみようかな、
なんて思っております。自然に思いっきり身を任せたい
気分です。
やっぱり、家は落ち着きます。
ここからまた新しい生活を始められそうな気がします。
なんだかゆったりとした時間を過ごしたくて、なんとなく
インターネットから遠ざかっていましたが、「なにかを
伝えたい」という気持ちがときどきふっとわいてきます。
今日は夫と、大好きな「もやい工芸」で麓のお線香立てを
買いました。気持ちが落ち着いたと同時に、しみじみと
「ああ、なんてかわいい子を亡くしたんだろう」と涙が
溢れました。
今回息子の死を体験して、他に同じ悲しみを抱えている人が
たくさんいることを知りました。そんな人たちの思いを
知ってみたくて、「誕生死」という本を読んでみました。
英語では、おなかで亡くなったケースを「STILL BORN」と
いうそうです。「それでもなお生きた」という意味の英語と
あまりにもかけ離れた「死産」という日本語。それをそぐわない
として、体験した方々が流産・死産・新生児死をすべて含めて
「誕生死」と呼ぶことにしたそうです。
この本に手記を寄せた方たちの体験は、私よりももっともっと
過酷で、辛いものばかりでした。新聞記事によると、死産は
年間3万人、流産は30~40万人にのぼるそうです。病気や
障害で亡くなる赤ちゃんもたくさんいます。
また、生きていても重い病気や障害で苦しんでいるこどもが
たくさんいて、幼いこどもの苦しむ顔を見ている親の気持ち
を考えると胸が詰まりそうになりました。
「どうか生きていてほしい」
「もしかしたら助かるかも」
「生きていてくれたら今頃は...」
我が子に対してそんな気持ちを抱くという経験をして、
他の同じ思いを抱く方の気持ちが痛いほど分かるように
なりました。
本のあとがきに、自分の心持ちに重なる文章を
見つけました。
----------------
何分の一かの確率で起こる病気だったから、事故だった
のだから、自然淘汰だったのだから、などと、赤ちゃんの
死にどのような理由がつけられようとも、親にとっては
かけがえのない一つの命が消えたという事実に変わりは
ありません。たとえ、何人子どもがいても、亡くなった
子の存在は一分の一です。いくら死の原因に納得しても、
わが子の死という理不尽なものを、納得し、受け入れる
ことはできないのです。
でも、時間と共に、新しい気づきもあります。それは、
亡くなったわが子が教えてくれた、あるいは与えてくれた
「何か」に気づくことです。それがどういうものかは、
それぞれの人によってちがいます。そういう小さな気づき
を集めていくことは、幸せとも言えることだと思っています。
大切なものに気づいていくことで、私たちの心の中で、
もう一度あの子の命がしっかりと生まれたと感じること
ができます。
----------------
時間がたてばこの悲しみは消えるものだと思っていました。
でも麓を失った悲しみは、消えることなんてないという
ことに気がつきました。そして、それでいいんだという
ことも分かりました。
時間がたつにつれて薄れていくことはなく、だんだん
何かが鮮明になってくるというのは不思議...
悲しみを受け止めること。
痛みを抱えて生きていくこと。
今までの人生で知らなかったこと。知っていたつもりでも
分かっていなかったことを教えてくれた我が子の死。
改めて親、特に母と子の絆の強さを感じます。
なんだか麓のことについてばかり書いてしまいます...
どうしても重い内容になりがちですが...こうやって
思いを綴ることで、少しずつ前に進めるのかな、と。
いつも見てくださる皆さん、しばらくお付き合い下さい~。
もう少ししたら、サーフィンを再開してみようかな、
なんて思っております。自然に思いっきり身を任せたい
気分です。
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