還りたい、帰りたい、あの頃に。
鹿児島がきっかけなのか、麓がきっかけなのか。
もともとそうだったのか、よくわからないけれど。
今とても惹かれているのは、人々が八百万の神を、
大地を、太陽を、信仰していた頃の心や生命力。
見えないものを大切にし、自然に敬意を払い、
限られたものの中で限りない幸福に満たされて
暮らしていた人々。
産まれることや死ぬことが、医療ではなく神の
領域であった時代。薬に頼ることなく、生活
すること自体が、人々の生命力を培っていた時代。
鹿児島から戻って以来、Yは朝起きて家を箒と雑巾で
掃除するようになった。最初のうちはきっと、麓を失って
破れてしまった心を安らげることに役立っていたのだと
思う。破れた心が徐々に繕われた今でも、朝の掃除は習慣
になった。私もほんのときどき、掃除を代わる。
箒と雑巾で、無垢板に触れる心地よさ。
全部終わると、うっすら汗をかくくらい運動になる。
そうか、生活するってこういうことだよなあ、と思う。
電子レンジをなくして、テレビをなくして、掃除機を
なくして、なるべくプラスチックをなくして、気付いた
ことがたくさんある。
便利な生活でどれほど生命力を感じる暮らしから
遠ざかってしまったか。
まだまだ便利なものに頼ってばかりだけど、少しだけ
近づきたい、少しずつ、あの頃の暮らしに。
土を触って、山に入って。
山で走るたびに、いつも自然に手を合わせ頭を
垂れてしまう場所がある。家のすぐそばにそんな
見えない力を持った場所があるのはうれしい。
今日もすべての想像力と命に感謝して眠ります。
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