来月のインディオ・キャンプに向けて少し
ブラジルやインディオのことを予習中。
友人が送ってくれた本、「ブラジルの記憶」を
読んで、インディオやブラジルの人々が抱えている
問題を少しだけ知ることができた。
その問題については、とてもここでは説明すること
ができないくらい、いろいろな要素が絡み合っている。
たまたま最近「アマゾン、インディオからの伝言」
という本で、ブラジルのインディオについて読んで
いたので、繋がる部分も多かった。
内容の重なる部分は多くても、書く人の立場が
前者は文化人類学者、後者はボランティアで団体を
設立した人。立場が違うだけで見方がずいぶん
異なるのも興味深かった。
救うとか愛するとか分かるっていうことは、楽しいだけの
場所にもないし、お金を与えたりするだけの場所にも
なくって、簡単そうで難しい...
どちらの本も、これから私たち文明の中で生きる
者とインディオはどのように生きていくべきかを
考えねばならない、という問題を提起しているの
だけれど、それと同じくらい気になったのが
「インディオには年寄りがいない」という記述。
インディオのある部族と生活をともにした著者が
ふたりとも「インディオには白髪/薄毛になる人が
いない」「年長者、首長はいても、老人として
扱われている人はいない」といっている。
それはインディオたちに「空間の感覚」はあるけれど
「時間の感覚」がないから、ということらしい。
年齢も数えないし、時間の制約もない。好きな時間に
食べ、寝て、動く。
いろんなことを分かりやすくするために定めた、時間
という概念が、実はいろんなことをややこしくしてる
ような気がしてきた。
老人の状態で長生きしようとすることや白髪/薄毛、
肌の衰えなどに抵抗しようとするのは、時間という概念
を知りすぎているから。
私たちが手に入れたものと失ったもの。
もともとの私たちの姿と、現在のわたしたち。
今と昔、両方のいいところ悪いところを知って
子どもたちに伝えていかなくては、と思いました。
ブラジルの記憶 「悲しき熱帯」は今 川田順造
アマゾン、インディオからの伝言 南研子
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