遠く離れた鹿児島の地を、私は今まで数回しか訪れた
ことがない。だから、13年前に亡くなった父方の祖父
にも数えるほどしか会ったことがなかった。
にもかかわらず、祖父の印象は強く心に残っているし、
祖父を誇りに思うことがしばしばあった。
祖父は大正のはじめ高知に生まれ、東京に出て教員
免許をとり祖母と結婚し、戦時中こどもたちを連れて
祖母の実家がある鹿児島に疎開した。
そして6人のこどもとともに今私たちが滞在している
この家でしばらく暮らしていた。6人兄弟の次男である
私の父は、この家で兄弟の面倒を見ながら畑仕事をし、
牛やニワトリの世話をしてから学校に通っていたそうだ。
結局祖父は高知に帰ることなく、亡くなるまで鹿児島で
暮らした。
この家には祖父の写真や父が小さい頃の写真が壁に
飾られていて、かつてないほどに自分の「血」や、
自分が生まれてくるまでの繋がりを感じられる。
祖父はとても勉強家で、教職を終えたあとも、死ぬまで
書道や詩吟、油絵に没頭していた。市民運動にも積極的
に参加していたらしい。
そして60年前から、ボーイスカウトの隊員として
たくさんのこどもたちの面倒をみてきた。
この家にはそんな祖父の描いた絵や、持っていた書籍、
手紙、写真が残されている。
昨日はじめて手にとったアルバムの間に、祖父が新聞記事
を集めたスクラップブックを見つけた。ページをめくると、
大事そうにとってある記事や手紙のあとに張ってあったのは
私たち家族の写真だった。
とても強く、厳しい印象があった祖父。
「おじいちゃん」というより「先生」みたいだった祖父。
当たり前だけど「ひとりの父親」であった姿に初めて触れて…
遠く離れて暮らす息子とその家族である私たちをいつも
想っていてくれたことを知り、涙が出そうになった。
それなのに数回しか会いにこれなかった。
祖父が亡くなって13年たった今、今までで一番祖父の
暮らしていたこの地を近く感じている。
息子は毎朝、訳も解らず祖父のお墓に手を合わせている。
そんな背中を見て、いつか祖父の話を息子にしようと思う。
いつか話せるように、ここでいろんな人に祖父の話を
聞いて帰りたい。
自分のルーツを語り継ぐこと。
受け継いだ何かを伝えること。
家族の愛の大きさを語らずして伝えること。
ここにきてすぐの頃、テレビで見た被災地の映像。
家族全員を津波で失い、ひとり残された高校生の女の子が
微笑んで言った。「何日もひとりで泣きました。でも
泣いても誰も幸せにならない。泣いたら今面倒をみて
くれてる親戚に心配をかけるし、天国の家族も心配
するはず。だからもう泣かないと決めたんです。」
何も失っていない私たちは、今改めて毎日の小さな幸せが
どんなに脆く、脆いゆえにどれほど大切であるかに気付き、
人生を生き直そうとしている。
3つの布団の上、4人並んで眠ること。
手離したくないものと一緒に今日も眠る。
家族の愛はいつの間にか受け継がれているんだ。
若かりし頃の父。うーん、誰かに似ているような。
私が生まれたとき、祖父は私を見に来てくれていた。
私は今日もお墓に手を合わせ、心の中でつぶやく。
「おじいちゃん、ずっと私たちを見守っていてください」
祖父は高校生の私に言った。
「青年の主張をせい!」
ことがない。だから、13年前に亡くなった父方の祖父
にも数えるほどしか会ったことがなかった。
にもかかわらず、祖父の印象は強く心に残っているし、
祖父を誇りに思うことがしばしばあった。
祖父は大正のはじめ高知に生まれ、東京に出て教員
免許をとり祖母と結婚し、戦時中こどもたちを連れて
祖母の実家がある鹿児島に疎開した。
そして6人のこどもとともに今私たちが滞在している
この家でしばらく暮らしていた。6人兄弟の次男である
私の父は、この家で兄弟の面倒を見ながら畑仕事をし、
牛やニワトリの世話をしてから学校に通っていたそうだ。
結局祖父は高知に帰ることなく、亡くなるまで鹿児島で
暮らした。
この家には祖父の写真や父が小さい頃の写真が壁に
飾られていて、かつてないほどに自分の「血」や、
自分が生まれてくるまでの繋がりを感じられる。
祖父はとても勉強家で、教職を終えたあとも、死ぬまで
書道や詩吟、油絵に没頭していた。市民運動にも積極的
に参加していたらしい。
そして60年前から、ボーイスカウトの隊員として
たくさんのこどもたちの面倒をみてきた。
この家にはそんな祖父の描いた絵や、持っていた書籍、
手紙、写真が残されている。
昨日はじめて手にとったアルバムの間に、祖父が新聞記事
を集めたスクラップブックを見つけた。ページをめくると、
大事そうにとってある記事や手紙のあとに張ってあったのは
私たち家族の写真だった。
とても強く、厳しい印象があった祖父。
「おじいちゃん」というより「先生」みたいだった祖父。
当たり前だけど「ひとりの父親」であった姿に初めて触れて…
遠く離れて暮らす息子とその家族である私たちをいつも
想っていてくれたことを知り、涙が出そうになった。
それなのに数回しか会いにこれなかった。
祖父が亡くなって13年たった今、今までで一番祖父の
暮らしていたこの地を近く感じている。
息子は毎朝、訳も解らず祖父のお墓に手を合わせている。
そんな背中を見て、いつか祖父の話を息子にしようと思う。
いつか話せるように、ここでいろんな人に祖父の話を
聞いて帰りたい。
自分のルーツを語り継ぐこと。
受け継いだ何かを伝えること。
家族の愛の大きさを語らずして伝えること。
ここにきてすぐの頃、テレビで見た被災地の映像。
家族全員を津波で失い、ひとり残された高校生の女の子が
微笑んで言った。「何日もひとりで泣きました。でも
泣いても誰も幸せにならない。泣いたら今面倒をみて
くれてる親戚に心配をかけるし、天国の家族も心配
するはず。だからもう泣かないと決めたんです。」
何も失っていない私たちは、今改めて毎日の小さな幸せが
どんなに脆く、脆いゆえにどれほど大切であるかに気付き、
人生を生き直そうとしている。
3つの布団の上、4人並んで眠ること。
手離したくないものと一緒に今日も眠る。
家族の愛はいつの間にか受け継がれているんだ。
若かりし頃の父。うーん、誰かに似ているような。
私が生まれたとき、祖父は私を見に来てくれていた。
私は今日もお墓に手を合わせ、心の中でつぶやく。
「おじいちゃん、ずっと私たちを見守っていてください」
祖父は高校生の私に言った。
「青年の主張をせい!」
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