この暗闇をぬけたら、たくさんの光に包まれる。
最初は眩しすぎて、まるで産道を通った赤子のように
慣れない世界に戸惑い、目を閉じて泣いてしまうけれど。
光に目が眩み、何も見えないけれど。
いつか知るときが来る。
この暗闇がなければ、光も輝きを失うことを。
暗闇を歩いた分だけ、きっと見えるものがある。
いろんな人とお話するうちに、失ったものが大きい分、
心は擦り減るのではなく、大きくなれると知り、
ビクビクがだいぶなくなりました。それと同時に
身体もなかなかよい調子。やはり心と身体の結び付き
はすごいです。
この数ヶ月で気付いたのは、やっぱり女性って素晴らしい!
ってこと。と同時に男性もすごい!と。
どんなに短い時間でこどもとお別れしたとしても、
母と子の絆は確実にあって、それは父と子の絆とは
別のものなんだと思いました。
麓を思って夫婦で大泣きしたとき、Yの悲しみは
「麓と一緒に何もできなかったこと」でした。
稜太とは体験できたあんなことやこんなこと…
もっともっと麓と楽しい時間を分かち合いたかった…
でも私の悲しみは「未来」ではなく、「過去」と
「現在」でした。自分の一部がなくなってしまったこと。
母としての愛を注ぐ対象がいなくなったこと。
それはもう理性ではなく本能で、自分にもどうにも
できない悲しみでした。
そんな風に父母それぞれがちょっと違う思いを抱いて、
目的は一緒だけど違う役割を果たせる「夫婦」。
外の世界でたたかって、家族を守ってきた男性。
家族を内側から包んで、受け止める女性。
与える、支える。
たとえ男性がたくさん家事をしても。女性がたくさん
仕事していても。男女それぞれが違うかたちで、
違う役割を果たして、愛を注ぐ家族ってとても素敵。
女性として母として、もっともっと心を大きくするために、
いま私に必要なのは、他人と比べて自分は幸せだと思う
のではなく、自ら幸福を探すこと。
ついつい人と比べてしまうけど、こどもに自分なりの
幸せを見つけてもらうためにも、自分が心から幸せで
いたいと思います。
家族とぎゅっと手をつないで、暗闇の中を歩こう。
もう光はちょっと見えているのです。
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