通勤途中にいつも座って煙草をふかしているおじいさんが
いる。でも、ちっとも楽しそうじゃない。
今日自転車でそのおじいさんの横を通り過ぎたとき
ふわっと煙につつまれて、なにかの儀式のようだった。
煙を抜けたら、少し頭の中がすっきりしたような気がした。
そして巡ったのは
やっぱり、自分が楽しむためだけに生きるのは
ちょっと違うかも・・・という思い。
自分がどれだけ楽しんでいるか、が人生の価値である
と考える人もいるけれど。そして私ももう少し若い頃は
そう思っていたけれど。
いまは苦しさも受け入れたいと思う。
苦しみがあって、喜びがあって、悲しみがあって、楽しみ
があって言葉や沈黙があって。そういうものを生み出して
いるのは、ぜんぶ人やある世界との繋がり。
家に帰って、畑を耕し、野菜の苗を植えた。
ホームセンターにあった肥料の土は東北のもので
なんとなく買えなかった。
せっかく家に設置した雨水タンクも、あのときのように
わくわくする気持ちでは使えなくなってしまった。
それでも雨は降るから、タンクの水を苗にあげた。
いろんなところに悲しみが広がってしまったなあ。
お金では解決できないいろんな悲しみ。
でもそんな暗闇の中で、今度生まれたときにはちょっとでも
誰かの喜びの種になれるように。誰かを楽しくできるように。
ああ、家族の存在って、ありがたい。
大地が汚れたって、海が汚れたって、
家族を思う気持ちはほんとうに純粋で美しい。
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