最近読んだ本で、心に残ったのは
「原発社会からの離脱――自然エネルギーと共同体自治に向けて
(講談社現代新書)
宮台 真司 (著), 飯田 哲也 (著)
でした。
内容はさておき、この本を読んで気付くことが出来たのは、
私自身が100%文系であるがゆえに、こういう科学的な内容を含む
事柄を科学的にではなく、社会学的に、もしくは心理学や哲学、
文化人類学的な切り口から語っている場合に、すごくすんなり
頭に入ってくる、ということです。
著者のひとり、宮台真司さんが社会学者であるせいか、近代
日本の歴史や文化の中に、原発を受け入れた国民性を見出すという
内容がとても面白かったです。
特に印象的だったのは、宮台さんが例にあげていた
フランスのバカロレアという高校卒業時の試験で出された問題
「正義と不正義はたんなる約束事に過ぎないのかを論ぜよ」
「言葉はコミュニケーションの手段に過ぎないのかを論ぜよ」
「環境と弱者救済が矛盾する場合について論ぜよ」
アメリカの学校の国語の授業の内容もしかりですが、思考し、
表現することがとても尊重されていると感じました。日本で
高校卒業時といったら、受験で出されそうな問題をひたすら
詰め込むことがほとんどだと思います。
この本の中では「知識社会の対照」という言葉で表現されて
いましたが、知識を行動に移し、社会に反映させる力が
日本はとても弱く、そこに教育のあり方が関係しているように
感じました。
日本は表面的 一過性 社会を変えるところまでいかない
豊かになろうとして、システムに依存して、罠に嵌まる
ライフスタイルにとどまり、ソーシャルスタイルにならない
その場をしのいで、こなしてしまえば、また次の日常がはじまる日本
社会が変わることを国民全体が前提としているスウェーデン
「知識をいかに使うか」と、「物欲で満たす豊かさとの決別」に
未来がかかっていると改めて感じました。
そのためにはいろいろ知らなくては・・・でもなかなか本を読む
時間が・・・とやきもきしている日々です。
*斜体箇所は本からの引用です
最近のコメント