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2012/02/19
存在しない存在
とあるきっかけで、作家エリザベス・ギルバートさんの
「創造性をはぐくむには」という動画を見ました。
この中で、おっ!と思ったのは、古代ローマ人が受け入れて
いた目に見えないものの存在について、でした。そしてその
存在を受け入れることで、自分との距離を保つことができて
いたということ。
これは、日本における精霊信仰(アニミズム)にも通じている
と感じました。日本に限らずどこでも、大いなる自然に囲まれ
ていたところ、ルネッサンスやらキリスト教のように「人」を
主にしていなかった場所では、見えないもののなかにいろいろな
ことを見出していたのだと思います。
欧米においては、キリストという絶対的な存在が現れることで
生活や考え方が一変した、と司馬遼太郎さんがある対談の中で
述べていました。
日本においては、縄文時代の頃からアジアの
国々の影響を受けつつも、そのいい部分だけを取り入れるという、
ある意味適当な文化ができ、そのため仏教も神道もごっちゃの
生活ができたといいます。それは同時に見えない存在を信仰できる
生活でした。
でも近代になり、西洋の文化が流れ込み、日本にも絶対的な存在が
必要だと迫られた結果、天皇や神道を絶対的な存在にして、戦争に
利用されたと・・・
近代化には絶対的な存在:人々を洗脳できるような何かがつきもの
なのかもしれません。
失ったものを取り戻すことは難しいかもしれませんが、今でも
人々はそこにある見えない何かの存在を感じる瞬間がある
思います。
芸術家のように神がかるというレベルまでは行けないけれど・・・
純粋な自然のなかで、自然に何かを感じ取り、頭を垂れてしまう
ような瞬間。見えない何かに見守られているように感じる瞬間。
自分の力を超えた何かが発揮される瞬間。
その存在を認めることは、生きていく上で、自分の存在を受け入れ
るひとつの方法なのかもしれません。古代の人が、その存在を感じる
ことによって、様々な感情や結果を自分から少し切り離したように。
太平洋戦争のような戦時中に比べたら、現代は本当に幸せだと
思いますが、真の幸せが現代にあるか?というと疑問です。
その疑問を解く鍵の一つが、「目に見えない存在」にあるような
気がしてならない今日この頃。
2012/02/19 21:23:00
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