手仕事フォーラムが発行している冊子「SILTA」を読んで、
ふと見つけた文章。
その文章が、好きな言葉とリンクして、一本に繋がりました。
SILTA 19号 宗廣コレクションと芹沢銈介の仕事
吉田桂介氏のお話より抜粋
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たとえば、那智の滝ののれんがありますね。
先生のおうちに行くと染めたものが下げてあるんです。
ところが次に行くと文様が少し変わってる。
そして次に行くとまた変わってる。
初めは雲や波があったんですが、行くたびに
簡略化単純化されていって、
最後に滝がすーっとおりてきて後は何もない。
そして非常に品格の高いものになっている。
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アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリの言葉より
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「何においてであれ『完全』とは、すべてを脱ぎ去り、
ありのままの姿に戻ったとき、つまり、
加えるべきものがなくなったときにではなく、
取り去るものがなくなったときに達成されるのである」
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美しい文章や、美しい言葉に出会うと
自分が求めているものや
自分に何が足りないかを見出せる気がします。
今日気がついたのは、美しさは余計なものを脱ぎ去った
無心の中にあるということ。
たくさんたくさん考え抜いて、同じことを繰り返した結果、
考えるということをせずとも勝手にからだが動くようになる。
無我夢中。無我の境地。
美しさが生まれる瞬間には、無心であり、見返りがない。
こんなにいいことをしているんだ、と人に言ったり
自分が何のために生きているかを何度も確認するのは、
未だ道の途中であり、迷走している証拠。
そうしているうちは人の目を気にし、他人に手をだし口を挟む。
純粋な目的のためにではなく、「自分の好きな自分」で
いるために何かをし、そういう自分に酔っているので、
「有我霧中」である。
「母親に褒めてもらいたい」という心理は根深い。
いつも誰かに褒めてもらいたいのかもしれない。
でも真の名作や偉業は、本人が何も言わずとも歴史に残り、
本人が何も言わないほどに美しい。
民藝の手仕事もしかり。
名を残そうと作られたものは凝ったデザインになったり、
本人の個性が強いものになる。
本当にいいものは個性が消えるほどシンプルで
使うほどその美しさや力強さに気付かされる。
その境地に至るのは本当に難しい。
これからもたくさんの美しいものや人に触れ、
削ぎ落とす生き方を実践していきたいです。
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