明日になると、おなかの赤ちゃんは息子と2歳差になります。
健康に産まれてくれたらなんでもいいや、と思いつつ、早く
産まれてしまうのも心配だったので、ちょっと安心しました。
明日からはどんどん動いて陣痛を促す予定です。
今日はYが耕した畑に、種を蒔きました。
私たちがいる間に芽を出し、大きく育つよう、毎日見守って
いきたいです。そして息子にも、種を蒔くと芽が出て、
毎日水をあげると育つことを教えたいな。
実際に草を刈り、耕し、種を蒔くと、その土と作物に愛着が
わいて、土地を愛し、その場所から離れられなくなる人々の
気持ちがすごくよく分かります。
住み慣れた場所を離れなければならなかった被災地の方々は
どんなに辛かったことか…
ここに来てから、畑で採ったせりをご飯のおかずにしたり、
地元で採れたキビナゴをさばいて刺身にしたり、親戚が作った
野菜をスープにしたり…
数十年前までは誰もが営んでいた、身近なもので生かして
もらうという生活。
エコという言葉に違和感を感じてしまうくらい、自然の一部で
あることをまだ感じられる暮らし。
おやつには庭のぼんたんを拾って食べ、生ごみは堆肥に。
それはここに住む人たちにとって当たり前のようです。
電力のこともそうだけど、都会で当たり前の便利な生活が、
どんなに不自然なものであるか。地球上で先進国がどんな風に
成り立ち、途上国といわれる地域にどんな影響を与えているか。
こちらにきても、今までのように電気や水道を使っていることに
変わりないのに、なぜか考えさせられる毎日です。
身近なもので、こんなに豊かに生活ができることに改めて驚いた
からかもしれません。震災の影響もあり、eat localだけじゃ
なくて、人間関係・エネルギー問題・生活の術を含むlive local
実現の可能性を感じて。
地方自治体が原発受け入れによって受け取る補助金などに
頼らざるをえないような状況を抜け出すためにも。
関ヶ原の戦いで敗れた最南の地に追いやられた島津家が
薩摩藩を自由な発想で発展させ、倒幕・維新という改革の
担い手になったように。
今こそ政府の力に頼るのではなくて、草の根から立ち上がり
政府を動かすときなんだと感じます。
そんなのとても無理...と思ってしまうような官僚やら
財界やらマスコミやらのしがらみは沢山あるけれど、
幕末の志士を思うと何でもできそうな気もしてきます。
まずは大きな流れをつくること。
今回の選挙に投票できないことはとても残念ですが、知って
おかなければならないこと。
神奈川では若者中心のこんな動きもあったりします。
未来は僕らの手の中プロジェクト
今日ツイッターを辿って見た「チェルノブイリの負の遺産」という
写真たち。出産を迎えつつある私には直視できませんでした。
でも「可能性がある」ということは直視しなければならないし、
もし可能性があるならば絶対に防がなければならない...
とても悲しくなったと同時に、強い義務感も感じました。
絶対にこどもたちに原発を残したくないって、誰もが思うはず。
笑顔がずっと続きますように。
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