今日は高校時代からの友人の家へ遊びにいきました。
いつも美味しいお料理とお酒。そして新しくて古い、
素敵なおうち。人生を楽しむ友人の姿を見て、とても
リラックスできました。
高校時代。ちょうど今の人生の半分を生きていた頃。
何も知らなくて、何でも知っているような気がしていて
なんだか照れくさくなるようなあの頃。
それから今に至るまで、お互いいろんな経験を重ね、
大切な人と出会い、こどもを授かって。
ときどき、あのときああしていたら、と妄想すること
もあるけれど、なんだかすべてが不思議なくらい必然
である、という気がしてならない。
英語を教えていた母。その母を見て留学し、大自然の中に
身を置き、自由を尊ぶ会社へ就職し、サーフィンに出会い、
今の職場に出会い、夫に出会い、こどもを授かり、麓との
別れを経験し、人との繋がりを見つめ直し、自分と向き合い、
手仕事に出会い、自分の求める生き方が見えはじめたこと。
どれひとつ欠けていても、ここには辿り着けなかった。
自分が生まれ育った環境も、出会いも別れも、すべて。
そのすべてを受け入れるまで。33年。
浄土宗の篤信徒の誰かによる詩:
子ども叱るな我が来た道だもの、
年寄り嗤うな我が行く道だもの、
来た道、行く道、二人旅、これから通る今日の道、
通り直しのできぬ道
この詩に出会ったのは、永六輔さんの「大往生」が
映画化された際に音楽を手がけた古澤良治郎さんの
CDのなか。古澤さんの音を求めてライブハウスに
通い始めたのは、そう、まだ何も知らなかった高校生
の頃。でもあの頃すでにジャズという世界に興味を
ひかれたのは、その音を奏でる人々の姿を通して、
人生の奥底にある何かに触れたいと思ったからかもしれない。
さあ、明日も通り直しの出来ない一日を思い切り生きよう。
まずはからだを元気に。
鶏と昆布とねぎと生姜でじっくり出汁をとったお粥。
干しえびと干し貝柱のラー油を添えて。
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