ときどき山野井泰史さんの山野井通信をチェックしています。
クライミングをするわけでもなく、冬山に入ることもない私が
フィードされていない記事をこまめに見にいっていることに
Yは驚いていますが、山野井泰史さんのことはなぜかときどき
自然に思い出します。
これまでいくつか登山家の本を読んだり、クライミング雑誌を覗いて
現役クライマーの文章を読みましたが、そこまで気になる人はいないの
です。なぜだろう??
今回の記事を読んで、その答えが少しだけわかったような気が。
前回読んだ記事は、ヒマラヤのカルジャン峰に挑んだ結果敗退した
というものでした。敗退したもののあまり悔しさを感じることがなく、
ヒマラヤへの情熱が薄れてしまったのでは?...と記事の中で山野井さん
が懸念していたので、その後彼がどのように感じているのか気になって
いました。
以下、山野井通信09/11/16より抜粋
ヒマラヤから帰り落ち込みはしないものの、しばらくは気の抜けた日々でした。
しかし過去を振りかえりはしても楽天家なのか、失敗もいつの日か良い思い出
に変わるだろうと勝手に決めて、また登りを再開しました。
なにより無性に岩にしがみ付きたく、そして息を切らせて山を歩きたいと思うのです。
こうなったら心臓と脳が停止するまで高みを目指すしかないでしょう。
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この文章を読んで、何だか「ああ、やっぱりこの人すごいな」と思いました。
ヒマラヤで彼が見た景色や感じたことは想像するしかないのですが、なんとなく
気が抜けてしまう感覚が分かります。辿り着いた場所が高ければ高いほど、
その落ち込みは低く、深く、また腰をあげるのが大変なはず。
でも彼は考えるわけでも立ち止まるわけでもなく、登り続ける...。そうすることで
しか納得できる場所に辿り着けないことを、からだが、脳が、知っているから。
そんな挑戦を、全然人の目を気にせず、誰かのためではなくまさに"ソロ"で
続けている。自然も好きだけど、人や音や都会も好きな私には絶対真似の
できない生き方です。
前向きな人は前しか見ていないわけではなくて、しっかり後ろを向いて
過去を受け入れ、強みに変えているんだ。と再確認しました。
後ろを受け入れられる前向きな人。
弱さを受け入れられる強い人。
後ろを全部忘れちゃう人より、強さしか求めない人より、いいなと思います。
こんな文章↓にも人柄が...。
以下、山野井通信09/12/07より抜粋
3日目 広島 三倉岳 何だろう、山の中を散歩していると甘い香りが
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なんというか、純朴でまっすぐ。誰かが見ていると思うと、ついつい格好つけて
しまったり、余計なものを加えてしまったりするけど、そういうのがないから
彼の話の内容や文章にハッとしてしまうのかもしれません。
たったひとつのことだけをわき目もふらず続けてきたからこそ、純粋でいられる
のでしょう。いろんなことに興味があって多才な人もすごいけれど、いろんな
世界にすぐ繋がることができる今そして今後、山野井さんのような人は貴重な
存在に思えます。
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