もうすぐ二歳になる息子が、毎晩せがむのは「ぞう」の話。
布団に入ると口にするのは「ぞう」。ぞうのともだちは
「メーメー」と決まっている。
でも決まっているのはそれだけ。
私はその場で話を作って、息子に聞かせる。
大きいぞうと小さいぞうの話。
迷子になったぞうに星が降る話。
ぞうの鼻の滑り台の話。
ぞうの大きいパンの話。
だいたいどれも最後はぞうが眠たくなって寝てしまう。
そんな単純なお伽話を、息子は頷きながら一生懸命
聞いてくれる。
そのあと、どんな夢を見ているんだろう。
鼻が詰まったり、咳をしたりして苦しそうに眠る姿を
見るのはとても辛い。逆に、安らかな寝顔を見ることは
この上ない幸せ。
昨日の朝、息子は起きてすぐに大泣きした。
「抱っこ」と言うだけで何をしても泣き止まない。
1時間以上試行錯誤したあと、何もしてあげられない自分に
涙がでてきて、ふたりで泣いた。それを聞いたYがびっくり
して起きてきて、三人で抱き合った。
私は急に心落ち着いて「ばかだなあ。母がこどもの前で
泣いても仕方ないな」と反省…
泣き声は気にせず、夢と現実の狭間で迷子になった
息子をひたすら抱きしめることにした。
約2時間経過して、息子はぱったり泣き止んだ。
こどもは本当にすごい。
見返りのないことを知りながらすべて与えたいと思わせて
くれる。そして与えた分だけ自分に与えられたような気分に
なる。まさに母乳が与えれば与えるほど溢れ出てくるように、
満たされていく心。
友人Oさんが送ってくれた本の一冊、「海からの贈物」
(リンドバーグ夫人著)で心に残った文章。
いろいろな経験・時間とともに変わる愛のかたち。
親子でも夫婦でも、究極のかたちは同じかもしれない。
抜粋ここから-----
完全に調子が合っている二人の踊り手は各自の、そしてまた
相手のうちにある「翼がある生命」を決して滅ぼさない。
しかしこの踊りの技術を、我々はどうしたら覚えることが
できるだろうか。なぜそれがあれほど難しくて、我々は躊躇
したり、躓いたりばかりしているのだろうか。
我々が前の瞬間に縋り付いたり、次の瞬間に待ち切れずに
手を出したりするのは、恐怖からだと私は思っている。
恐怖が「翼がある生命」を滅ぼすのである。そしてこの恐怖
を追い払うのには、どうすればいいのだろうか。
恐怖はその反対である愛によってでなければ追い払えなくて、
心が愛で一杯になっている時には、恐怖や疑惑が入り込む余地
はない。そしてこの恐怖を感じないということが踊りの秘訣
であって、二人の人間のどちらもが愛する余りに、相手も
自分を愛してくれているかどうか考えることを忘れ、ただ
自分が愛していて、その音楽に合せて動いていることしか
念頭にない時、二人は初めて同じ律動に完全に調子を合せて
踊ることができるのである。
抜粋ここまで-----
私もそんな恐怖に囚われていたひとり。
愛する人の過去や二人の現在、そして未来。でも家族が
増えていく中で、確実に信頼は深まって。いま家から遠い
この地で、私の心はまるで子宮で羊水に包まれているように
温かく、心地好い。自然と家族の愛がこんなにも近くにある。
それがどんなに幸せなことか、ひしひしと感じている。
妄想でもお伽でもない、現実と結び付いた愛情。
誰もが当たり前に求めているもの。
Yのflickrアカウントに鹿児島滞在アルバムの一部を
アップしました。よかったら覗いてみて下さい~。
今日のおやつ:
叔母がくれた手作りおやつ、「小麦だんご」。
餡子がもちもちした小麦粉にくるまれている素朴な味。
竹の皮で包んである保存食。昔の人の知恵は無駄がない。
布団に入ると口にするのは「ぞう」。ぞうのともだちは
「メーメー」と決まっている。
でも決まっているのはそれだけ。
私はその場で話を作って、息子に聞かせる。
大きいぞうと小さいぞうの話。
迷子になったぞうに星が降る話。
ぞうの鼻の滑り台の話。
ぞうの大きいパンの話。
だいたいどれも最後はぞうが眠たくなって寝てしまう。
そんな単純なお伽話を、息子は頷きながら一生懸命
聞いてくれる。
そのあと、どんな夢を見ているんだろう。
鼻が詰まったり、咳をしたりして苦しそうに眠る姿を
見るのはとても辛い。逆に、安らかな寝顔を見ることは
この上ない幸せ。
昨日の朝、息子は起きてすぐに大泣きした。
「抱っこ」と言うだけで何をしても泣き止まない。
1時間以上試行錯誤したあと、何もしてあげられない自分に
涙がでてきて、ふたりで泣いた。それを聞いたYがびっくり
して起きてきて、三人で抱き合った。
私は急に心落ち着いて「ばかだなあ。母がこどもの前で
泣いても仕方ないな」と反省…
泣き声は気にせず、夢と現実の狭間で迷子になった
息子をひたすら抱きしめることにした。
約2時間経過して、息子はぱったり泣き止んだ。
こどもは本当にすごい。
見返りのないことを知りながらすべて与えたいと思わせて
くれる。そして与えた分だけ自分に与えられたような気分に
なる。まさに母乳が与えれば与えるほど溢れ出てくるように、
満たされていく心。
友人Oさんが送ってくれた本の一冊、「海からの贈物」
(リンドバーグ夫人著)で心に残った文章。
いろいろな経験・時間とともに変わる愛のかたち。
親子でも夫婦でも、究極のかたちは同じかもしれない。
抜粋ここから-----
完全に調子が合っている二人の踊り手は各自の、そしてまた
相手のうちにある「翼がある生命」を決して滅ぼさない。
しかしこの踊りの技術を、我々はどうしたら覚えることが
できるだろうか。なぜそれがあれほど難しくて、我々は躊躇
したり、躓いたりばかりしているのだろうか。
我々が前の瞬間に縋り付いたり、次の瞬間に待ち切れずに
手を出したりするのは、恐怖からだと私は思っている。
恐怖が「翼がある生命」を滅ぼすのである。そしてこの恐怖
を追い払うのには、どうすればいいのだろうか。
恐怖はその反対である愛によってでなければ追い払えなくて、
心が愛で一杯になっている時には、恐怖や疑惑が入り込む余地
はない。そしてこの恐怖を感じないということが踊りの秘訣
であって、二人の人間のどちらもが愛する余りに、相手も
自分を愛してくれているかどうか考えることを忘れ、ただ
自分が愛していて、その音楽に合せて動いていることしか
念頭にない時、二人は初めて同じ律動に完全に調子を合せて
踊ることができるのである。
抜粋ここまで-----
私もそんな恐怖に囚われていたひとり。
愛する人の過去や二人の現在、そして未来。でも家族が
増えていく中で、確実に信頼は深まって。いま家から遠い
この地で、私の心はまるで子宮で羊水に包まれているように
温かく、心地好い。自然と家族の愛がこんなにも近くにある。
それがどんなに幸せなことか、ひしひしと感じている。
妄想でもお伽でもない、現実と結び付いた愛情。
誰もが当たり前に求めているもの。
Yのflickrアカウントに鹿児島滞在アルバムの一部を
アップしました。よかったら覗いてみて下さい~。
今日のおやつ:
叔母がくれた手作りおやつ、「小麦だんご」。
餡子がもちもちした小麦粉にくるまれている素朴な味。
竹の皮で包んである保存食。昔の人の知恵は無駄がない。
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