年末、我が家に届いた一冊の詩集。
荒井良二さんのライブで出会った、ひとつの詩から知った人。
自分へのプレゼント。未来に残したい言葉。
山之口貘最後の詩集、「鮪に鰯」。
本の出版は1972年。わたしがうまれるだいぶ前に、生み出されて
いた詩。そんな昔のものとは思えないくらい、ふたたび現実に
なってしまったことが、ただただかなしい。
きっとその当時の人々よりも私たちはかなしい。
雲の上も、雲の下も。すっきり晴れた日だって、まるで雲に覆われて
いるかのように、つきまとう見えない不安。
詩に込められた想いを、いまふたたび。
山之口獏 「鮪に鰯」より
「雲の上」
たった一つの地球なのに
いろんな文明がひしめき合い
寄ってたかって血染めにしては
つまらぬ灰などをふりまいているのだが
自然の意思に逆ってまでも
自滅を企てるのが文明なのか
なにしろ数ある国なので
もしも一つの地球に異議があるならば
国の数でもなくする仕組みの
はだかみたいな普遍の思想を発明し
あめりかでもなければ
それんでもない
にっぽんでもなければどこでもなくて
どこの国もが互に肌をすり寄せて
地球を抱いて生きるのだ
なにしろ地球がたった一つなのだ
もしも生きるには邪魔なほど
数ある国に異議があるならば
生きる道を拓くのが文明で
地球に替わるそれぞれの自然を発明し
夜ともなれば月や星みたいに
あれがにっぽん
あれがそれん
こっちがあめりかという風にだ
宇宙のどこからでも指さされては
まばたきしたり
照ったりするのだ
いかにも宇宙の主みたいなことを云い
かれはそこで腰をあげたのだが
もういちど下をのぞいてから
かぶった灰をはたきながら
雲を踏んで行ったのだ
「雲の下」
ストロンチウムだ
ちょっと待ったと
ぼくは顔などしかめて言うのだが
ストロンチウムがなんですかと
女房が睨み返して言うわけなのだ
時にはまたセシウムが光っているみたいで
ちょっと待ったと
顔をしかめないではいられないのだが
セシウムだってなんだって
食わずにいられるもんですかと
女房が腹を立ててみせるのだ
かくて食欲は待ったなしなのか
女房に叱られては
眼をつむり
カタカナまじりの現代を食っているのだ
ところがある日ふかしたての
さつまの湯気に顔を埋めて食べていると
ちょっとあなたと女房が言うのだ
ぼくはまるで待ったをくらったみたいに
そこに現代を意識したのだが
無理してそんなに
食べなさんなと言うのだ
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