今から10年前、鎌倉もやい工藝の店主久野恵一さんは、
現代生活を美しく彩る手仕事の世界をめぐって話し合う
「
手仕事フォーラム」という集まりを作りました。
私は1年前にその存在を知り、ずっと興味を持ってきましたが
子育て中ということもあり、イベントなどに参加することが
できないので、ブログなどを見るだけでした。
でも知れば知るほど手仕事フォーラムの活動を応援したくなり
先日フォーラムの会員になりました。その後送られてきた
会報を読み、「これこそ私たちが残すべきものであり、すすむべき
道である」と感じるようになりました。
会報に載っていた文章を読んだ瞬間、今まで私の中で点として
存在していたキーワードがひとつに繋がったのでした。
手仕事、環境問題、見えない力、「Canta!Timor」を見て
感じたこと、戦争、原発、麓の死、吉村正先生の言葉、衣食住、
自分の仕事・・・すべてが線になって心に染み込みました。
以下、会報「SILTA 1号」より抜粋
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手仕事フォーラムがめざすもの
現在の私たちが享受している物質的な「豊かさ」は、環境破壊の
上に成り立っていることを否定するわけにはいきません。
天然資源の乱獲・乱伐や廃棄物による自然環境の汚染という
直接的な破壊だけではありません。「豊かさ」を求める人間の
巨大なエゴは、時として戦争という最悪の環境破壊を引き起こす
こともあります。
こうした世紀末的な状況に直面し、「破壊の速度を緩めなければ
ならない」という運動が各方面で起こっています。しかし、
私たちが、環境破壊を前提とするライフスタイルを根元から
断たなければ、問題を解決することは出来ないでしょう。
人間が、その能力以上のことを行えなかった時代の人間の生産行為
ー手仕事のものづくりーは、そのまま自然の営みの一部として、
自然界の現象や生態系と共存していました。ところが技術の発達
により、資源の収奪が可能になった現代の工業的なもの作りは、
自然を破壊し、ひいては人間の未来をも奪おうとしています。
先端技術をひていするわけではありません(実際、使い方さえ
間違わなければ、技術は素晴らしいものです)。しかし、
私たちが環境破壊を前提とする豊かさではなく、真の豊かさを
目指すならば、かつて自然と共生していた時代のものづくりの
価値の大きさを無視するわけにはいかないでしょう。
消費者が変われば社会は変わります。「生活の基本である
衣食住には、環境破壊をひきおこさない手仕事の品をとりいれる」
というふうに、私たちが生活スタイルをほんの少しだけ工夫する
ことがやがて大きな力となり、自然と対立する現在の文明の
ありようも改善されていくのではないでしょうか。
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絡み合っていたたくさんの糸。実はシンプルに、紡ぐことで
美しい布に変わっていくことを実感しました。
環境活動や社会活動をしている人でも、「今の経済のしくみ
は変えられない」と考えている人や、自分の生活が工業品で
あふれている人も多いと思いますが、日本には手仕事があり、
そこから大きな仕組みも変えられる可能性があること、
もっともっと知って欲しいです。
今後少しずつ時間ができたら、夫と協力しあいながら
活動に時間を割いていきたいと考えています。
新潟県 佐藤多香子さんの裂織。
この世にふたつとない模様。日本人の美しい文化です。
裂織(さきおり):Wikipediaより
木綿の肌触りのよさは多くの人を魅了したが、古布とはいえ
安いものではなかったため貴重品として「使い切る」文化の中で
裂織文化が発展した。
1.まずは端切れを縫い合わせて着物にしたり、炬燵布団にしたり
して使い、擦り切れるとそこにまた継ぎを当てる。
2.布がくたびれてくると、今度は縫い目をほどいて端切れに戻し、
それを裂いて長い紐にする。安い麻糸を経糸とし、緯糸に端切れの
紐を用いて機を織ると出来上がるのが、狭義の裂織である。
3.さらに裂織が使い古されると、最後は裂いて組み紐に作り直し、
背負子などに利用された。
4.最後に紐の端に火を付けるとゆっくり燃えるため、農作業中に
煙を虫除けとして使い、灰は土に返った。
このように最後まで布を捨てることなく活用し、次々に新たな用途
へと甦らせる文化を背景として裂織は広く行われた。
古手木綿にはさまざまな色合いの端布が混ざっており、その継ぎ接ぎで
色の組み合わせを楽しんだり、次いで裂織を織るときには緯糸となる
端切れの微妙に異なる色合いの組み合わせを楽しむなどして、民芸品
としての性格も帯びるようになる。
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