今月の初めに見た映画、「Canta! Timor」。
この映画は本当にいろいろなことを感じさせてくれました。
事実を知らないことが、たくさんの罪を生んでいること。
日々、日本で、世界で、自分の生活で起きていることの
真実を知る大切さ。そのために物事の裏側を見る必要性。
知った事実を、自分の人生に散りばめられているあらゆる
選択肢に生かすこと。
一番に感じたのはそのあたりだったのですが、あの映画が
ただのドキュメンタリーよりも心に響いた理由は「人々の
あるべき姿」を日本人に思い出させてくれるからでは
ないかと思いました。
東ティモールの人々の多くが、いまだ古の日本人のように
大地とともに暮らし、精霊や見えない力を信じて暮らして
いること。そういう暮らしのなかでは人々が「人の力が
及ばない物事があることや、人間はすべてをコントロール
できないという事実」をきちんと受け入れているのです。
だから自然に対してもコントロールするとか、守ってあげる
とかではなく、自然によって人が生かされていると考える
ことができるのでしょう。
ところが現代のわたしたちときたら、すべてを自分の手で
コントロールできると信じ込んでいるかのようです。
戦争で薬によって兵士の心をコントロールし
ピルを使って女性の妊娠や出産をコントロールし・・・
先日の新聞では、自民党が「九州の豪雨で起きた土砂災害は
治水対策がなされていないせいだ」とし、新たなダム建設や
治水工事を進める必要性を民主党に進言したとか・・・
あんなに大きな事故が起きて、今も苦しむ人が大勢いる
というのに、人間が制御できないものを何千年も抱えなければ
ならない原発の問題・・・
本来は病気を予防するためにどうしたらいいか?を考える
ことが重要なのに、病気という結果を取り除くことだけに
重きをおいて、人間本来が持っている免疫力や治癒力には
見向きもしない現代医療・・・
自然のものが取れなくなったら、養殖で確保する漁業。
遺伝子組み換えで都合良く作物を成長させる農業。
コンクリートで土地を埋め尽くして自動車を増やし、
花粉症や自動車事故に苦しむこと。冷暖房で気温を
制御し、地球の気温が制御できないと嘆くこと。
すべては「人間がコントロールできる」という思い込みから
うまれているような気がします。
街中で車に乗っている人がものすごい勢いでクラクションを
鳴らして前の車を責め立てる、という小さな出来事からも
同じ精神状態を感じるのです。
本当は解決するのが簡単なことなのに、事実が隠され、
解決法が複雑に歪められて見えなくなってしまう世界。
自然が奪われると、心も奪われてしまうことを、この映画から
学びました。自然によって自分が生かされているという気持ちを
もった人々が、少しずつでもその心を伝えていくしかない。
こどもたちに伝えなければならない。そう思います。
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