「私たちは建築家の脳の中に住んでいる。
あるいはさまざまな人が設計したシステムの
中に住み着いています。
人間が設計しなかったもの、それが自然の定義です。」
-養老孟司 かけがえのないもの-より抜粋
鎌倉も東京23区に比べるとかなり自然が多い
場所ですが、鹿児島は鎌倉に比べて圧倒的に
人が少ないので、「自然に覆われている」感が
強いです。人間がまだ自然をコントロール
しきっていないというか、自然と共生することで
より多くのものを得ることが出来るというか・・・
こちらではどうも生き物のサイズも都会より
ひとまわり大きい気がします。
森が豊かであるほど、生き物は大きいままで
暮らせるのかもしれません。
そういえば、「もののけ姫」で猪がこんな
セリフをいう場面があります。
「わしの一族を見ろ!みんな小さくバカに
なりつつある。このままでは、わしらは
ただの肉として人間に狩られるようになるだろう」
山や森がなくなることで、動物がただの肉に
なってしまう、と物語の中では言っているの
ですが、実際には動物が変わるわけではなく
人間の意識が変わってしまったということを
映画は伝えているのだと思います。
都市化にともなって人間が自然を排除するように
なり、私たちは牛や豚を畏れたり奉ることもなく
家畜として見るようになりました。
自然に圧倒されていれば、自然を畏れ敬うもの
ですが、都市では少しでも自然の脅威を
排除しようとします。海や川をコンクリートで
埋め、虫は殺虫剤で徹底的に殺します。
その排除に対する勢いは狂気とも思えるほど。
人と人の住んでいる距離はどんどん縮まって
いるのに、人間同士のコミュニケーションも
希薄な都市の生活。
動物のように体が小さくなるわけでは
ありませんが、山や森などの自然がない
場所では、人間の場合心の許容量が小さく
なってしまうのではないでしょうか。
自然と対峙・一体化する生活やスポーツを
経験することがどんなに人の価値観を変えるか
が、都市と自然のなかの生活を繰り返すことで
よく分かります。
都市化を止めることも昔に戻ることも不可能
ですが、意識を変えることで都市設計の内容は
変わると思います。
こどもたちの未来の生活が、ストレスに満ちた
ものになってしまうのか、それとも大きな
心をもてるようになるのか・・・
まさに未来は私たちの手の中にあるのだと
感じている田舎の生活です。
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