ずっと前に買って、忘れていた本をやっと読みました。
色川武大の「
うらおもて人生録」。
終戦直後から博打の世界で生き、小説家になり、阿佐田哲也
として書いた「麻雀放浪記」で一躍有名になった著者。
博打という特殊な世界での経験が色濃く反映された、
生きていく上でのセオリーがとても興味深かったです。
印象に残った言葉を、メモとして羅列・・・
*******
子供の頃で一番肝心なことは、愛し、愛されるという経験。
その次が健康、その次くらいが、学問
まず第一に、限りなく素直になること。
第二に、しっかり胆力を練って、自分の走り方を考えること。
ただ単に生きているということがすでにしてかなりの運を
使っている、そういうふうに思う必要があるんじゃないかな。
だから、九勝六敗でも、八勝七敗でも、勝ち越すということが、
むずかしく貴重なものになってくるわけだね。
だまされてはいけない。だから、だましてもいけない。
だませ。しかしそのために、だまされろ。
真実というものはすべて、二律背反の濃い塊りになっている。
女は、誰が考えても納得できるような生き方をすでに備えて
いるからね。たとえば、巣をつくるとか、子供を産むとか。
もうそれ以上にじたばたする必要はない。
男はそのまわりをうろうろしているだけだ。男には、これで
いいという生き方がないよ。どんなに強くなっても、まだ
どこかに自分より強いものがいそうだし、ひとつ望みが実現
してもその先にまた望みができるからね。
いつも新天地をめざして歩いていかなければならない。
女は保守的だが、同時に、平和というものを重荷に感じている。
男は、女よりもずっと平和を望んでいるくせに、いつも勝負の
ことが念頭を去らない。
勝てる格好になったら、じっと自然にまかせていればいい。
勝てそうになると、つい調子に乗って、とどめを刺したく
なるけれどね。もうそこにきたら動かなくていいんだよ。
かんじんのときにチャランポラン(リラックス)になれる
能力、というのは、こういう角度からもいえるんだけれどね。
長所と同じように、欠点というものも、できれば十代の頃から
意識的に守り育てていかないと、適当な欠点にもならないし、
洗練された欠点にもならない。
スポーツをやったら、坐禅を組んでみろ。都会に住んだら、
田舎に行け。大酒を飲んだら、禁酒してみろ。
勝ったり負けたりとはそういうことだよ。そうしているうちに、
両方の最高がわかってくる。
血の中の貯金というのはね、俺の親や、祖父母や、曾祖父母や、
二代も三代も前の人たちの、有形無形の実績が貯金になっていて、
それを食っているように思えるんです。
人間は、二代、三代、長い時間をかけて造っていくものですから、
どうぞそのおつもりで、子供を産み、育ててください。
自然というものは、本当は恐ろしいものなんだよ。人間よりずっと
大きなものだよ。理くつではわかっていても眼に見えないからね。
それで、つい、なめるんだ。
それで自分たちより大きいものと比較をしないで、自分たち同士で
比較しあって、まァ人生というものは、この程度に働き、楽しめば、
まァまァなんだろうと思ったりする。
他の、もう少し大きな自然と向き合っている人々は、物をなめる
ことができないで、にっちもさっちもいかなくなってるんだ。
俺は、どちらかというと、にっちもさっちもいかない状態の方が、
本来の人間の状態のように思えるんだな。
わかる、ってことは、言葉でわかったりすることじゃ
ないんだからな。わかる、ってことは、どういうことかというと、
反射的にそのように身体が動くってことなんだな。
人間は、結局、ここだけは死んでもゆずれないぞ、という線を
守っていくしかないんだ。その、ここだけはゆずれないぞ、
という線を、いいかえれば、自分の生き方の軸を、なるべく
早く造れるといいんだがなァ。
*******
最後の方には、大好きなジャズピアニストの渋谷毅さんの
名前も登場して、「あ、やっぱりつながってる」、と
妙に納得してしまいました。
他の著書も読んでみようと思います。
最近のコメント